2006/12/23 Sat 04:39
僕がおそらく真実であろうと思っている諸前提から論理的推論を導くと(というほど大げさでもないが)、どうしても死ぬことが最も効率が良いということになる。
とはいえそれはあくまで論理的にそうであるというだけのことであって、すぐに「さあ死のう」ということにはならない。しかも「死ぬことが生きているよりも良い」という結論にもならず、生きていることは死んでいることと同じ程度には意味がないということになるだけである。同じく意味がないなら生きていても死んでいても同じというわけで、たとえば生きていることがどうしても苦痛につながるなら死んでもいいんじゃないか、という話である。
「意味のなさ」という部分の定義を簡単にしておいたほうがよさそうだけど、要するに人間はいずれ死ぬし、人類はいずれ絶滅するし、それでも宇宙はあるというようなそういった感覚で、科学的認識によって目的論的(キリスト教的)世界理解が崩壊したとかそういう思想史上の事件の廉価版みたいなものだと思ってもらえればいいと思う。
こういう認識を持っていても、人間レベルの物事に生き甲斐を見出して生を肯定的に捉えることは十分に可能であると思うし、実際に世を生きている人たちには(世界・宇宙レベルの認識の有無を問わず)そのように考えている人が多くいると思う。しかし僕の場合、人間レベルの物事を見ようとしても世界・宇宙レベルの無駄さがどうしてもそれに勝ってしまう。でもすぐに死のうとは思わない(この理由を突き詰めるのも興味深いところだが、今回は措く)。結果、無気力になる。
こうなってくると、その無駄をいかに楽しむか、楽しめるかというところが大事になってくる。実際、今まではそのようにやりすごしてきたのだが、うまくいかないことも出てくるもので。「社会的にはやらなければいけないこと」というものは、生きていく(金を稼ぐ、食べる)ためであったり、達成感とか社会的意義とか社会的ステータスとかによって、少なくとも部分的には動機付けられるものであるはずだが、それらがすべて無効である場合には、楽しみを見出せなくなったとたんに「やる必要のないこと」になってしまう。積極的に死のうとしているわけではないので、やらなければ死んでしまうとなれば違うかもしれないが、そういうこともない。地味ではあるが、これは「危機」である。遠い目線から社会全体の問題として捉えるのでなく、個人的にそういう傾向が強まると厄介なことこの上ない。
社会的に報われていないことを世界・宇宙といった大枠の問題にすり替えているのではないか、と自分でも問うてみることはあるけど、おそらく社会的に報われたとしても同じ問題は起こりうるだろうし、現在の僕自身がそれなりに社会的に報われているという見方もできる。
僕が数年前に宮代真司を読んでいたことを書き添えたほうが誠実だろうか。まぁニーチェでもキェルケゴールでもパスカルでもいいんだろうが、いずれにせよ未解決であり今後も見通しは暗そうな問題ではある。信仰ねぇ。
さて、こんなことを考えて沈んでいると沈む話が寄ってくるもので、今日読んで印象深かったページは以下の2箇所。まぁ石を投げれば報われない人に当たる成熟した資本主義社会こと日本なわけですが、みなさん元気ですか? 社会的に報われないことが上記の僕のような「信仰」に向かうきっかけとなる側面はあるような気がしますが、しかし完全に断絶している(いずれにせよ無駄である)ならばむしろ社会的な報われなさに耐えることもできるような気もします。でもなんだか未整理だな。
2006/12/12 Tue 00:57
使っているノートのシステムが入っているHDDがクラッシュしました(正確には微妙なところなんだけど)。もうずいぶん長いPC歴でもはじめての経験で、ちょっと凹み気味です。今はknoppixでノートを起動して書いています。
まぁこんなこと(更新)してる場合じゃないといえばそうなんだけど、誰にともなく報告したい気がしますね、こういうとき。
とりあえずBecky!のメールデータだけでも退避したいんですが、knoppixから件のHDD(NTFS)にアクセスしようとしても、マウントの時点でどうも引っかかります。実は普通にWindowsを起動すると、ディスクチェックしろと言われるものの無視して進めば起動自体は成功する(こともある)んですが、やはりバックアップをしようとする段で止まってしまい青画面になったりしています。調子の善し悪しがあるあたり、症状は明らかにハードの異常なんですが、なんとかメールデータのコピーだけでも許してもらえないでしょうか...ダメ?
できれば修理に持っていく前に必要なデータだけでも外に逃がしたいんだけどなぁ。ううう。
追記(12/12):knoppixでもWindows回復コンソールでもデータに到達できませんでした。ついにWindowsそのものも起動できなくなった……本格的にダメそう。メーカーの修理窓口いってきます orz
2006/12/02 Sat 07:39
やらなければいけないことの期限が迫っているのだが、頭も身体も一向に動く気配がない。しかも、やらなければいけないことに向かうときだけ動かないのではなく何事に対しても同様で、些細なことをしようと思ってもやたらと時間がかかる。それに向かうまでに関係のないことをしばらくやってから、やっとのことで少しだけ行動し、またはじめに戻る。
この動かなさ、動けなさは誰よりもまず自分にとって最も厄介なものであるが、動かないのも自分なのであって、その板挟みでもってまた別の次元で身動きがとれなくなる。自分をコントロールできない、そのコントロールできなさをコントロールできない。そこから先はひたすら反復。
最近はもしかして身体的なものに原因があるのかもしれないと思うこともあり、だとするとここに書いているような諸々の内省はまったく無駄ということになってしまうのだが、こうなるのが身体的なものだけに決定されていたわけではなく、何らかの他の要因が働いている/いたこともおそらく間違いないわけで、それを捉える作業は無駄というものでもないだろう、と自分を正当化しながらも。
いやでも本当に、どうしてこうなのかと……と思いながら『僕らの音楽』を見ていたら森山直太朗が阿部サダヲにリクエストされて「レスター」を歌っていて「あぁーそうだよねそうだよね」なんて思わされたり。森山って同世代なんだね、そういやそうだったかもしれない。「さくら」その他の印象から敬遠気味だったけど少しは触れてみるべきか。
あと全く関係ない文脈からシンクロするように ELLEGARDEN の Salamander (リンク先にPV動画あり)を聴いてまた「うーんだよねだよね」てなかんじになってみたりと、また無生産な時間を過ごしてしまう。こちらは今まで完全にスルーしてたので森山のことよりも収穫だった。といっても Salamander は誰の曲か知らないまま聴いたことがあったけど。
和風の顔立ちながら妙に流暢な発音の英語でハリウッドで忍者役にもなれそうなヴォーカルの細美武士という人は、プロフィールがかなり興味深い。
ELLEGARDENを結成する前に組んでいたバンドはデビュー目前にして解散。音楽をすることが社会に対する「逃げ」なのかを判断するため就職し、数ヶ月サンフランシスコでプログラマとして働いていた。その後、生形に誘われて音楽活動を再開する。
(ELLEGARDEN - Wikipedia)
解散と迷い、いいエピソードです。数ヶ月の就職の後、バンド結成が1998年とのことなので、なんかこちらも同世代の臭いがします、数字的な近似以上に。
ロングセールスを記録し、発売から1年以上に渡って現在もインディーズチャート上位にランクインしている。これを受けてバンドの知名度は急速に上昇するが、結果的にボーカルの細美武士をはじめメンバーに戸惑いを与える事となった。その結果、細美はNANO-MUGEN FES. 2005の出演中に涙を流し歌えなくなった。
(RIOT ON THE GRILL - Wikipedia)
ブレイクして戸惑って泣いちゃうなんて……も、萌えー。「逃げ」にならなくてよかったねぇ。「福岡音楽ポータルサイト FUKUOKAMUSIC.JP」のインタビューを見ても、非常に好感が持てます。「詞は、曲とは裏腹に後ろ向きなものが多く、そこが魅力」になったりするのがわかる感じ。萌えー。
と、細美氏に癒されてみたわけだが、すでにブレイクを済ませた他人のことなどどうでもよかったのだった。問題は自分のことだ。
とりあえず自分にとって重苦しい自分がどうにかなるものではない、ということはわかっていたことなので、それはそうなのだとひたすら認識するしかないんだろうなぁ。何も進展してないけどとりあえず癒されたからいいや、脱線で集中力使い果たしたし……というここまでが最近のサイクル。
2006/10/04 Wed 03:12
本屋で文庫マンガコーナーをうろうろしていてピンときて思わず買ってしまった、さそうあきら『トトの世界』1~3巻を読んでいるところです。前々からこの人はそうじゃないかと思っていたわけですが、やはり天才の類であると思います。皮肉の意味はまったく込めていません。
嗅覚を鍵としながら人間性のリミットを問うという、およそマンガでは困難な主題をこれだけ描けるというのは……どうなってんだこの人。嗅覚や聴覚(『神童』)を表現するだけでもすごいのに、それだけじゃないとは。しかも連載が始まったのは新潟少女監禁事件の直前だし。
と、読み終えたような口ぶりですが、いま最終巻を半分くらいまで読んだところです。この先を読むのが怖いので一息入れてます。ハッピーで終わってほしいと思うなんて久しぶりのことだ……うううう。集中していきます。読み終えたらまた。
B6版 各560円(税込)
文庫(A6版) 各630円(税込)
2006/09/22 Fri 07:41
コメント・トラックバック共にspamがあまりにもひどかったので、条件を引き締めています。
ちょっと前までは同一IPからの連投をメインに制限し、アスキー(英数)のみのコメント・TBリクエストは受け付けていたんですが、その後、異なるremote_addrからほぼ同じ内容のspamが連投される(プロクシ? スパイウェア? remote_addr偽装?)ケースが相次ぎ、制限がほぼ無意味になっていたので、現在はアスキーのみのものも制限することにしました。おかげさまで効果は上がっている模様。
remote_addr偽装を見破る方法が見つかれば解除したいところだけど、時間もあまりなさそうなので、あるいは永遠にこのままかも。まぁまったくと言っていいほどコメントもTBもないのでよかろう。
Color99 さんとspam_blockerプラグインに感謝します。
2006/09/22 Fri 07:28
そろそろ11月号が出てしまうけれど、月刊アフタヌーン10月号についていた別冊付録、2006年四季賞夏(谷口ジロー選)について。
今回の別冊はとりわけ秀逸な作品が揃っていた。2ちゃんねる四季賞スレは「今までにない」盛り上がりだったようで、そのことも今回のレベルの高さを裏付けていたようだ。その中でも四季大賞を受けた市川春子『虫と歌』がさらに頭一つ抜けていたように思う。この点で、僕の評価と、先のスレの大方の評価は一致している。
読んですぐに「すごい」と思って感想を書こうとしたんだけど、どうにも語る言葉が出てこずにぐずぐずと今日まで持ち越して、それでもまだ何も出てこないまま、もうなんでもいいからこの作品について書いておけばいいやというくらいの気持ちで40日ぶりくらいに指を動かしてみたり。こんなペースだから言葉が出てこないんだろうけど、まぁ仕方ない。まだ本誌が残ってて、別冊も付いてたらマジで買ったほうがいい。
粗いようで実のところ繊細な描線は読者にイメージを補完させる力が強く、それでいて軽さを失わない。できる限り絵での描写を試みていて、微かな線も見逃せない。最後の最後で言葉に頼った説明が出てくることを悔いる声もあったけど、僕はカタルシスとして成立していたと思う。コマやページの流れはテンポよく、しかし穏やかに時間を流れさせている。あるいは、抑えているが止まることのない良い具合のセリフ回しが、相前後する時間の流れをうまく一本にまとめているのかもしれない。
奇妙な、あるいはファンタジックな「兄弟/妹」の話。僕自身には兄弟姉妹がいないけど、もしこんな風だったらいるのもよさそう。さらに言えば、僕は他人のことが常に不安だったり怖かったりするところがあるんだけど、もし本当にこういう関係を築きうるのだとすれば、その不安や恐れを踏み越える価値はあるのかもしれない。でもふと自分が「現実」にいて、虫でもないということを思い出して、やっぱりだめかしらと思いつつ読んでると、もっといいなぁと思ってしまう。あるいはやはりそれが「家族」であって他人ではないということが重要なのかもしれない。それにしたってこの家族像はやや美しすぎるのではあるが。でもこんな関係が出来るんだったら、人と関係することはそれほど悪いことではないと思えた。
自分がそこまで他人と関係したがっていないとは自分でも思っていなくてまず意外で、しかもその自分が「悪くないかも」なんて思ったところがさらに意外。それでも基本姿勢は変わらないだろうけど。
ただ、端々に高野文子を思わせるところがあると評判なので、好きな人は気をつけて。
他の三作品の中では『呪縛』が比較的人気だったようだけど、個人的にはそれほど大差なく良かったように思います。たしかに『呪縛』はサスペンスで引っぱっていく強さがあって、すぐに商業誌でいけそうなニオイはしたかもしれないけど。でもこの三作の能力は個性が違うだけで総合的な戦闘力(?)は同じくらいな気がします。
評判について2ちゃんねるのことしか出てこないのは、面倒で他をチェックしてないから。
2006/08/10 Thu 17:20
なんだかうまく作業が進まないので生活を見直してみると、色々なことで少しずつ時間が圧迫されてるらしい。そこで以下4つのToDoを掲げることにした。
-
ブログを読まない――RSSリーダーなんてもってのほか
-
メッセンジャーを起動しない
-
テレビを見ない
-
テトリスしない
4は別として、なぜ1~3を止められないのかというと、どうも世の流れから取り残されることへの不安が関係しているようである。テレビはマスなレベルを代表するもので、メッセンジャーはよりミクロな関係に対応し、ブログはその中間あたり(あるいは両者を含む)ものだろう。このToDoは以前にも書いたことではあるが、もう少し押し進める必要がありそうな状況である。
5年も前の曲だが、Gorillazの19-2000に表れている状況は少なくとも僕にとってあまり変化がない。
The world is spinning too fast
I'm buyin' lead Nike shoes
To keep myself tethered
To the days I tried to lose
My mama said to slow down
You must make your own shoes
Stop dancing to the music
Of Gorillaz in a happy mood
「自分の靴を作る」ことが必要なのはママに言われなくてもわかってる……つもりなんだけどね。「自分を今につなぎ止める」努力は空しく、スローダウンすることが結果的に先へ進むことにつながるというのは、僕の無意識的な焦りと一致しない事実であるようだ。志村はいつだって後ろに気づかないということか。違うか。

- ゴリラズ
- EMIミュージック・ジャパン / ¥ 1,312 (2008-06-11)
- 発送可能時間:
追記:忘れてた。
- PCを起動しない
これ最強。
2006/07/22 Sat 04:34
さて、実は自分も中田英寿に通じるようなことを日々考える、悩みの時期に入っている。「凡庸」と表した自分もまた凡庸であることを突きつけられる。普遍的テーマを「凡庸だ」と切って捨てるのもイマイチだということか。
悩みの時期はある程度周期的に訪れるのだが、その悩みに引きずられるあまり公事に支障が出てくるのがいただけない。次のことへの心配と、現在のするべき/しなければならないことが相反し、結局はどちらへも向かえず、ただその場へ沈潜してしまう。「まずは今だ、急がば回れ急がば回れ」と念じて現在のことに集中すると、しすぎて周辺のものを見失い、ミスが出る。また少し沈潜する。スロットルの踏み具合が深い、タイミングが遅い。
早め早めに、いい具合に、踏む。理想はそこにしかないのだが、いい具合の女神ははるか前方、地平線の向こうに走り去っている。青は進め、黄色は急いで進め。周囲は適度に気をつけろ。車体にガタがきていても、踏んでみるしかないのである。75歳以上の老人は空前絶後の100点!
しかし頭も重い、身体も重い、もともと低い血圧が最近さらに低くなった。気の利いたオチも思いつかない有様で、本当に参った。自分探しの旅どころじゃなく、それ以前の段階で進めていない。凡庸じゃないかもしれないけど、あくまでネガティブな意味でしかない。
2006/07/11 Tue 04:18
2006年ワールドカップ決勝は、延長戦を終えても1対1のまま決着つかず、PK戦にもつれこんだ結果、5-4でイタリアが勝利した。だがトロフィーを高く掲げるカンナバーロよりも、PKを外したトレゼゲよりも、延長後半5分、ジダンがマテラッツィに対して見舞った頭突きが最も印象に残っている。
サッカー好きの友人は今回の頭突きについて、「マテラッツィはジダン対策として、あの場面に至るまでずっと野次りつづけていたのではないか」という観測を持っているらしい。重要なのは、その野次が「ジダン対策」であったかもしれないという点である。多かれ少なかれマテラッツィが野次っていたのは事実であるとして、それは「ジダン対策」だったのか。
インタビュー等などで見られる、はにかみやで静かな話し方から、謙虚で控えめな性格と評される反面、試合においては警告を受ける回数は少なくない。 有名なところでは、1998年フランスW杯で南アフリカの選手を両足で踏みつけ(2試合出場停止)、ユベントス時代の2000年チャンピオンズリーグではハンブルガーSVの選手へ頭突き(5試合出場停止)、レアル・マドリード時代の2004年リーガ・エスパニョーラではムルシアの選手に対して頭突き、また、2005年のリーガではビジャレアルの選手に対して突然平手打ちをするなど、瞬間的に頭に血が上りやすいことでも知られている。
ジネディーヌ・ジダン - Wikipedia (ja)
ジダンが「瞬間的に頭に血が上りやすいこと」は、ヨーロッパのサッカー選手であれば当然知っているべき情報である。「ジダン対策」として「野次」が有効であると考える根拠には充分だろう。
闘争心旺盛な性格が災いし、ハードマークなどでファールを献上、カードを貰うことがしばしば。また熱くなりすぎでラフプレーも侵すことがある。この最たる例として、2004年2月1日のシエナ戦において試合に欠場したマテラッツィはシエナのDF、ブルーノ・チリッロに対し汚い野次を飛ばし続け、これに苛立ったチリッロが試合終了後にマテラッツィに詰め寄ったところ、マテラッツィはチリッロを暴行。チリッロが生中継に顔面あざだらけで現れこの事態を告白。マテラッツィは罰金と2ヶ月の出場停止を受けた。
マルコ・マテラッツィ - Wikipedia (ja)
口汚い野次はマテラッツィの得意技であった。「ジダン対策」としてはまさに適任である。このマテラッツィの特徴も、ヨーロッパのプレーヤーであれば――マッチアップする機会があるならなおさら――知っているべき情報なのだろう。が、いずれにせよジダンはそれに耐えることができなかった。彼の行動は非難されて然るべきだが、ひとまずここで考えたいのはマテラッツィについてである。
マテラッツィはジダンの性質を知っていた。そして実際に野次を飛ばしていた。その狙いは功を奏し、結局ジダンは自ら退場を準備することになった。マテラッツィが退場まで期待していたかどうかはわからないが、不意の一撃という代償を差し引いても十分すぎる「成果」を挙げた。勝負の結果を見れば、彼の行動がイタリアの勝利に貢献したと見ることはできるだろう。決定的なものではない、しかし大きな要因のひとつではあった。少なくとも試合後の現在はそう思える。
以下は、ルモンドが伝えたフランス代表ドメネク監督の試合後のコメントである。
Materazzi a fait beaucoup de cinéma quand il est tombé de si haut. Il est grand, il est costaud, et un coup de vent l'a fait tomber. L'homme du match, ce n'est pas Pirlo, c'est Materazzi, il marque et il fait exclure Zidane...
あれだけ大げさに倒れて、マテラッツィは大芝居を打った。彼は背が高く、頑丈だが、ある突風が彼を倒したんだ。マン・オブ・ザ・マッチ、それはピルロではなく、マテラッツィだ。彼はジダンをマークし、そして排除したんだよ……。
Le Monde.fr : Raymond Domenech : "L'homme du match, c'est Materazzi"
マテラッツィの野次は、チームの勝利に貢献した。あれはひとつの「チームプレー」となった。イタリアベンチの思惑がそこに介在していたかどうかはわからない(これも問う価値のある問題かもしれないが、ひとまず措く)。だが個人の判断であったとしても、それは結果的に「チームプレー」となった。ここでの「チームプレー」とは、協力して複数の人間が行動することではなく、チーム全体に貢献する部分的な行動というくらいの意味である。
どちらも鉄壁の守備を堅め、同点のままPK戦までもつれこんだ試合の勝敗を分けた分水嶺は、マテラッツィの野次によってもたらされた。あれだけの勝負に勝つためには、そこまでしなければならなかったということである――少なくともあの試合に関しては。サッカー、いやフットボール/カルチョとは、おそらくそういう部分を含むスポーツなのであり、それを「悪い」と言ってもそうであることをやめないものなのだと思う。
W杯前、ある日本メディアがブラジル代表のカカに行ったインタビューをテレビで見た。そこでは日本代表の印象についての質問もされていて、カカは「日本代表に足りないものは、ズルさだと思う。ラフプレーという意味ではなくてね」という内容の返答をしていた。カカがその「ズルさ」にマテラッツィのような「野次」を含めていたかどうかはわからない。しかし今では、この発言が今回の件に強く結びつくように思えてならない。
日本代表がW杯を征するために必要なもの、それは中田英寿が伝えたかったものでも、イビチャ・オシムが伝えようとするものでもないかもしれない。そして、日本代表が「それ」を手に入れ、W杯を手にしたとき、日本サポーターはその勝利を祝福できるだろうか?
……以下余録。
やはり頭突きの原因は全世界的な関心事らしい。とりあえずスポニチ。
イタリアのマテラッツィが暴言を吐き、ジダンは怒りを抑えられなかったとの見方が支配的だ。その暴言の中身について、フランスのニュース専門テレビLCIの記者は「人種差別的な内容、あるいは家族に関する内容だったのではないか」との推測を紹介。ジダンはアルジェリア系移民の家庭に生まれた事実が念頭にある。
フランス公共ラジオによると、ブラジルのテレビ局は読唇術の専門家の分析として、マテラッツィがジダンの姉を侮辱する発言を2回繰り返したとの見方を伝えた。侮辱されたのは母親との憶測もある。
スポニチ Sponichi Annex 速報: ジダン頭突きの原因めぐり報道合戦
で、あまり徹底して探したわけではないが、フランスNouvelle Opsはジダンの従兄弟のコメントを伝えた。推測の域は出ないが、やはり彼の出自に関わる内容ではないかと述べている。
AGUEMOUNE, Algérie (AP) -- L'un des cousins de Zinédine Zidane a rapporté lundi que le coup de sang de Zizou contre Marco Materazzi dimanche soir en finale de la Coupe du monde serait né de l'insulte de "terroriste" qui aurait été proférée par le défenseur italien.
Rabah Zidane, interrogé dans le hameau familial d'Aguemoune en Kabylie d'où est originaire la famille Zidane, a jugé que "Zizou, dans ses habitudes, il ne frappe pas. Il est gentil. Il ne frappe pas. Mais sûrement, (Matterazi) a dit quelque chose grave". il a ajouté avoir entendu que son cousin avait été traité de "terroriste". "Si c'est comme ça", il a eu raison de réagir.
Après un échange verbal avec le défenseur de l'Inter de Milan, Zidane lui a donné un fort coup de tête dans le thorax, se faisant expulser par l'arbitre à la 110e minute de jeu.
"On est déçu, on est triste", a confié Rabah Zidane. "Malheureusement, ça s'est mal terminé. C'est ça, le football: il y a un gagnant, il y a un perdant". Toutefois, le fait que Zinédine Zidane ait été élu le meilleur joueur de la Coupe du monde "nous fait plaisir", a-t-il ajouté. AP
アグムーヌ、アルジェリア(AP)――月曜、ジネディーヌ・ジダンの従兄弟の一人は、日曜夜のワールドカップ決勝において、ジズーがマテラッツィに対して憤激したのは、イタリア人ディフェンダーが発言した「テロリスト」という侮辱によって生じたことではないかと述べた。
ラバ・ジダンはカビリ地方のアグムーヌにある一族の集落で取材を受けた。ジダンの一族はこの地に由来する。ラバは「ジズーには殴ったりする習慣はない。親切だよ。殴ったりしない。だが確かに(マテラッツィは)何か深刻なことを言ったんだ」と判断した。
インテルのディフェンダーと言い合ったあと、ジダンは彼の胸部に強い頭突きを加え、110分、自ら退場を宣告されにいった。
ラバは「みんな裏切られたし、みんな悲しんでいる」と打ち明けた。「不幸なことに、悪いかたちで終わってしまった。これがフットボールなんだよ。そこには勝者がいて、敗者がいる」。しかしながら、ジダンがワールドカップ最優秀選手に選ばれたことは「我々を喜ばせた」とも付け加えた。AP
Le Quotidien Permanent du Nouvel Observateur- Mondial: Zidane aurait été traité de "terroriste" par Materazzi, selon un de ses cousins
この問題を掘ってゆくと、いずれにしてもその生い立ちや経歴、背景に立ち入らざるを得なくなってゆく。これはジダンに限らず、マテラッツィについても同様である。ラバ・ジダンとは別の意味で「これがフットボールなんだよ」と思ってしまう。こうしたことは化の二人だけにあてはまるのではなく、すべてのプレーヤーの裏側にあることなのだろう。
僕はそれらの諸々についてまったく無知なミーハーにすぎないが、今回はいい勉強になった。
関連:アンカテ(Uncategorizable Blog) - 日本サポーターはごっつぁんゴールを祝福できるか?
2006/07/10 Mon 02:53
さて、これからワールドカップ決勝なわけだが、今さら感もありつつ中田英寿の話を書いてみようと思う。
“人生とは旅であり、旅とは人生である” 2006.07.03 - nakata.net -- 中田英寿オフィシャルホームページ
サッカー選手のはじめての引退宣言を信用していいものかどうか迷うところだが、とりあえず彼が「引退」という言葉を口にしたのは事実。29歳での引退を「早い」と評価する声もあり、僕自身としてもそう思うところはあけれども、しかし彼にとってはその「早め」のタイミングが重要であったのだろう。それはなぜか。
中田はこれまでにも「大学へ行きたい」と語ったことはあったし、先日には、今後ハーバードでMBAを取得しようと計画しているという話も伝えられた。以前から彼は「次」のこと、つまりサッカー以外の進路を考えている――少なくともどこかにそういう希望を持っていることは知られていた。
以前、中田がインタビューに応える様子をテレビで見たことがある。そこで中田は恋人について聞かれており、彼は「自分は一人でなんでもできるようになりたい。だから恋人も必要なものとは考えられないので、長続きしない」という内容の返答をしていた。記憶頼りなのでその発言をはっきり示すことはできないのだが、彼は、あることをするために誰か他人が必要になってしまうのは避けたい、ということを言っていたはずである。
できるだけ他人に依存したくない。「恋人」という枠を外し、上のコメントの意味を深く解釈すればそういうことになる。このチームスポーツの選手としては致命的とも言える意識は、しかし確かに中田のなかにあったのだと思う。
さて、ここで僕自身の話になる。僕は先のインタビューを聞いたとき、深く共感した憶えがある。僕にもできる限り他人に頼りたくないと思う傾向がある。もちろん自分が万能になることはできないが、できる限りその範囲を広げたいと常に考えている。逆に、ひとつのことをあまりにも長く、深く続けてしまうことには抵抗がある。特に、ある程度熟練し、それ以上に上達するためには何か他のことを犠牲にしなければならないような場面に出くわすと、むしろ「これはもういいか」と思ってしまうことが多い。
中田はサッカーについて、上のような脈絡で「これはもういいか」と思っているんじゃないかと思うわけである。もちろん、そこには29歳という要因も関わっており、そうしたタイミングの「良さ」が「引退」発言につながったという考えは、そう的外れではないだろう(そしてたぶん、目新しいものでもない)。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。
僕は、なぜ「できるだけ自分でやりたい=他人に頼りたくない」と思うのか。その一つは、コミュニケーションがそれほど得意ではないという要因による。その意識は、コミュニケーションは面倒だという考えにもなっていく。だから、他人に目的や手順を伝えて代わりに実行してもらうコストを考えると、「自分でやったほうが早い」と考えてしまう。でもどうしたって自分にできないことはある。色々な場面で、そのたびに「これが自分でできたらなぁ」と思うようになる。コミュニケーションにそれほど時間を割こうとは思わないので、何かを学んだり練習したりする時間が相対的に増える。ストイックなイメージを持たれることも多くなる。
もう一つの「他人に頼りたくない」理由は、何であれ他人に依存してしまった上でその人がいなくなった場合のリスクを必要以上に気にしてしまうためである。こういう意識がなぜ芽生えたのかと自分を省みてみると、自分が経験した社会変化がひとつの大きな要因だったのではないかと思う。
僕は中学から高校時代にかけてバブル景気を経験し、社会人が湯水のごとく経費を使う話だとか、上の世代が大学で遊びまくる話だとか、易々と就職を決めてゆく様子だとかを、自分が近い未来に立つであろう状況として経験しながら育った。しかし自分がそこに立ったときには、その想定を修正せざるを得ない状況になっていた。自分の能力がなければ有利な立場には立てない、という意識は、このときに芽生えた気がしている。現在その状況はより先鋭化し、(かつての)平均的な社会生活すら競争に勝たなければいけない(と多くの人が言う)状況になっているが、そこに至る坂道の最初の世代が70年代中頃生まれである。つまり、「自分をとりまく状況はいつ変化するかわからない」というリスクヘッジ意識が比較的大きなインパクトによって刷り込まれたところが、「他人に頼りたくない/頼ることはできない」という意識に結びついているのではないかと、自分では考えている。
中田英寿と僕との間には、大いなる格差がある――それは収入、素質、努力、「現実」に適応する力(ある程度は何かを犠牲にして一つのことを追求できる継続力、次の進路に経営学を選ぶしたたかさ)、チームスポーツで一流になれる程度には持っている社会性など、枚挙にいとまがない。だがそれでも、どうしてもまったくの他人とは思えないところがある。その数少ない部分は、上に述べた通りである。その似た部分で考えると、今回の彼の決断はとても共感できるし、それほど驚くべきものでもない。彼にはやりたくてもできなかったことが数多くあるだろうし、そうしたことへのこだわりも強いだろうから。
これは単に自分語りであるに過ぎない。でも中田と僕の考え方に似ているところがあるとは感じるし、それはもしかしたら1976~77年生まれという世代(あるいはそこを中心とする数年の世代)のひとつの傾向を示しているのではないかとも思っている。だがそうであるとすれば、あまり喜ぶことのできない社会変化に適応しようとしてしまっていることになる。万能に近づこうとする形で自分を高めることにつながっていると考えればポジティブに働いているのではあるが、その姿勢の背景は悲しいものである。
社会変化ということについてはもう一つ、70年代半ば生まれがしばしば「狭間の世代」「無風世代」などと呼ばれていることも付け加えておくべきかもしれない。この世代には、その世代を強烈に彩るようなものが乏しく、一言で言い表すのが難しい。つまり前後の世代とのコミュニケーション基盤があまり強くないことが、コミュニケーションへの苦手意識を持たせることになっているかもしれない、ということである(だがこのことは、両方の世代とコミュニケートする可能性にもつながっているかもしれない)。
まあこれも、大ざっぱな世代論ではある(世代論はだいたい大ざっぱだけど)。しかし自分の周りを眺めてみるに、コミュニケーション不全だったりストイック気味だったりする同世代はけっこう多い。これは僕自身がそういう人間だから似たような人間が周囲に増えるというようなことだと思っていたのだが、どうにも中田の姿を見ていると、やはりもっと大きな問題が関係しているような気がしてきてしまう。だとすれば、せめて彼にささやかな共感をしめして「我々」感を噛みしめてみたいかなと。
まぁ僕は「なんでも自分でやろうとする」という傾向をそれなりに気に入っているし、そういう他人も嫌いではない。コミュニケーションなんかしないで、いろいろ手を広げるのもいいだろう。周りに煙たがられても自分でやればいいじゃない。専門分化なんか欠落だらけの人間の寄せ集めだと思いながら、いろいろできるやつになっちゃえばいいじゃない。とりあえずヒデは「自分探しの旅」なんていう語彙を使う凡庸さから脱してほしいと思います! がんばれ!
と、明らかに適当なまとめになってますが、これからまさにW杯決勝がはじまるので仕方ないのです。ではまた。
2006/06/23 Fri 07:42
試合終了後、ピッチに倒れたままブラジルのユニフォームで顔を覆い、涙している中田英寿の姿がとにかく印象的だった。この一敗で、彼のキャリアは間違いなく一つの終わりを迎えた。2010年には、中田は33歳。ほぼ4歳年上の(一度は引退した)ネドヴェドを中心とするチェコはすでにグループリーグでの敗退が決まり、同じくジダン率いるフランスも自力での決勝進出の可能性を失っている。中田も、4年後には間違いなくピークを過ぎているだろう。彼にとってこの大会はそういう大会だったはずだ。
これまで、少なくともカメラの前で、中田が涙を流すことはなかった。これがただの「予選敗退」であれば、やはり泣くことはなかっただろう。前半34分の玉田のゴールで、中田は、自分がそこにいるべきだとイメージし続けた、雲の向こう側の光を見た。手が届くかもしれないと思った。わずか10分後、再びその光は再び雲に閉ざされ、二度と射し込むことはなかった。
1996年、アトランタ五輪でブラジルを破った(19歳)。1998年、フランスW杯出場、その後日本人二人目のセリエAプレーヤーに(21歳)。2001年、ASローマのセリエA優勝に貢献(23歳)。2002年、日韓W杯でベスト16(25歳)。輝かしい。あまりにも輝かしい。もっと先に行かれると思った、かもしれない。2006年、W杯グループリーグ敗退(29歳)。「お前のキャリアはこのあたりだ」と言われたように感じた、かもしれない。
あるいは周囲の能力に対する苛立ちや運のなさを嘆いているところもあるかもしれないが、それでも間違いなく、自分の力不足に対して最も苛立っているだろう。そして、彼のシビアな評価眼では、もう「次」の自分に期待することもできない。
僕は中田英寿より年齢で言うと1年上だが、学年は彼と同じであり、ずっと同世代として気になる存在だった。中田ファンと言うつもりはない(どころかそれほど好きというわけでもない)し、そもそもサッカーファンですらないが、自分が生きた時間の中で何ができたのかを考える上でのひとつの極として意識してきた(せざるを得なかった)し、今後もするだろうと思う。僕は常に打ちのめされるばかりだが、それでも頼もしい存在ではあった(大相撲の「51年組」については語るまい)。しかし、30年という一つの区切りを否が応でも意識していたところに、彼の涙である。僕はスポーツ選手ではないし、それ以外の分野でも「キャリア」など示すことはできないミジンコだが、それでも「あの」中田英寿が涙するシーンには複雑な思いを抱かざるを得ない。
試合のテレビ中継は、ピッチに横臥しつつ目を赤くした中田が、笑顔でコーチ(?)と会話を交わし、立ち上がってサポーターの方へと歩み出すシーンで終わった。少し安心した。それはおそらく僕自身への希望と見えたのにすぎないが、できれば彼にとってもそうであってほしいと、やはり思う。4年後まで現役でいることは十分に可能だし、東ハトの役員だし、ベルマーレのスポンサーだし、イタリアのナイトの称号も持ってるんだし、なんでもできるだろう。ミジンコじゃないんだから。
――それでもこれが、一つの終わり、あるいは区切りであるのは変わらないことなんだけれど。
追記(22:10):とりあえずマスコミに上がった関連記事をクリップ。nakata.netで引退を連想させるようなコメントを出したという話もあるけど、サーバが落ちてるようで確認できず。W杯前から終了後の引退を示唆してたらしいけど。まあ引退も含めて「白紙」という記事もあるので、考えるということなのかな。
公式サイトでのコメントは試合前の21日付で出されたもので、まあ普通に捉えれば「この試合が(このW杯の)最後にならないことを」という内容だと思います。
2006/05/28 Sun 12:42
いつか借りようと思っていて、やっと借りてきたうちの1本『エターナル・サンシャイン』(Eternal Sunshine of the Spotless Mind)を見た。
記憶を消してしまいたいような出来事や関係はあって、それが関係であるならば相手のことをイヤになって消したいと思う。でもそれを総点検してみるとぽろぽろと良い記憶がつながって出てくると。
ただ見終わった後で自分を省みてみると、記憶を消したいと思う理由はどちらかというと自己嫌悪のほうが多かったりするのだが、記憶を消すということは自分の嫌な面もナシにできるわけで、そう思ってから映画に飜ってみるとクレメンタインが記憶を消そうとした衝動の背景には自己嫌悪も絡んでいたであろうことがわかってくる。
ジョエルが彷徨うのもまさに自分の脳内なわけで、これは2人の脳内放浪映画か? と思ってみると『マルコヴィッチの穴』も「脳内性」みたいなものがテーマだったわけで、カウフマンの抱えている主題というのは「脳内」とその外部との、つまり「脳内」と他者との関係にあると言うのは間違いじゃなさそう。
それはともかく、考えてみると、消そうとしたその関係には良いところが多々思い当たるわけだ。それは相手に良いところがあったからだし、そのことから自分も相手にとって何らかの良いところがあったということがわかるし、関係そのものについてもまたしかりだと。「消したい」と思うような記憶について、それを「思い出す」ことにより、自己嫌悪に彩られた過去へこういう視線を投げることもできるのだなぁと思えたところが個人的な収穫だった。
もちろんそれも一度は消そうと思うような記憶なんだから、思い出したくない部分を多々含むものなんだろうけども、というか基本的にそっちのほうが多いくらいなのかもしれないけども、記憶が消したいようなものとしてある状態だからこそ、そのときに発見する良い部分、美しい部分の意外さに驚かされてしまう。良いばかりでも、悪いばかりでもないというその凡庸なことを凡庸なまま憶えておくということは、凡庸な行為ではないと思う。
Blessed are the forgetful, for they get the better even of their blunders.
(Friedrich Nietzsche, Beyond Good and Evil)
“忘却はよりよき前進を生む”(DVD字幕)
――忘れっぽい人は幸いである。彼らは自分の愚行をも「綺麗さっぱり」忘れてしまうからだ。
(『善悪の彼岸』 7章 217 木場深定訳 岩波文庫 194頁)
英語を直訳すると「忘れやすい人は幸いである、なぜなら彼らのしくじりにさえ打ち勝てるのだから。」くらいでしょうか。こう言っておいた後で
How happy is the blameless vestal's lot! / The world forgetting, by the world forgot. / Eternal sunshine of the spotless mind! / Each pray'r accepted, and each wish resign'd
“幸せは無垢な心に宿る/忘却は許すこと/太陽の光に導かれ/陰りなき祈りは運命を動かす”(DVD字幕)
Alexander Pope, Eloisa to Abelard, Lines 207-210だそうです。こっちは大きな不安が伴うけど、訳してみると「純潔な処女の運命はなんと幸福なことか! 忘れられた世界を越えて、世界を忘れゆく。汚れなき心の永遠の輝きよ! 祈りはいずれも受け入れられ、望みはいずれも退けられる」……えーとだから、実際には嫌なことやうしろめたいことはあって、世界を忘れても行かれないと。
2人は再び結びつき、さらに再び危機を迎える。そこに至ってforgetが「忘却」であるとともに「赦し」でもあるというダブルミーニングが効いてくる。わざわざ記憶を消さなくても、forgetすることは可能なのである。
流れで『善悪の彼岸』をめくってて目に留まった箴言をもうふたつ。この作品とも遠からず結びつくでしょう。
平和な状態にあるとき、好戦的な人間は自己自らに襲いかかる。
(『善悪の彼岸』 4章 76)
愛から為されることは、常に善悪の彼岸に起こる。
(同153)
てかここまでまったく触れずに来ましたが、この作品を観ようと思ったのはカウフマンでもジム・キャリーでもケイト・ウィンスレットでもフロド(イライジャ・ウッド)のおかげでもなく、ミシェル・ゴンドリーのためです。事前に逆回しという言葉をよく聞いていたので前編フィルム逆回しを期待していて拍子抜けしたけど、最終的にはすごく良かった。
2006/05/05 Fri 17:59
先週から作っていたJavaScriptライブラリを公開します。Wikiライク、というよりもむしろはてなダイアリーライクな変換エンジンです。
wikirender.jsをロードし、wikiRender.render(String)にテキストデータを渡すと、ルールに従って整形した結果が返されます。整形ルール(記法)についてはデモページのフォームを参考にしてください。
document.getElementById('preview').innerHTML
= wikiRender.render( document.getElementById('input').value );
返されるのはDOMオブジェクトではなくHTMLタグを含んだ文字列なので、innerHTMLに入れてやる必要があります。ZEROBASEのDOMコードジェネレータなどと組み合わせればDOMエレメントとしても処理できるかもしれません。
wikiRender.interWikiNameオブジェクトにプロパティを追加することで、InterWikiNameを追加設定することができます。
wikiRender.interWikiName.WikiName = [
URI prefix, URI suffix, UTF8_encode_flag (boolean), encodeURIComponent_flag (boolean)
];
3番目の真偽値で値をUTF-8にエンコードするかどうか、4番目の真偽値ではそのエンコードにencodeURIComponent()関数を使うかどうかを選択します。4番目がfalseの場合はencodeURI()関数でエンコードされます。
デモページでは以下ようなInterWikiNameを設定しています。デモページで使用しているwikidemo.jsも参考にしてください。
wikiRender.interWikiName.GoogleSrchJa = [
"http://google.com/search?hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&q", "", true
];
wikiRender.interWikiName.AmazonJP = [
'http://amazon.jp/exec/obidos/ASIN/', '/bdp-22/ref=nosim', false
];
また、wikiRender.headingBaseプロパティの数値を変更することにより、Hタグの開始値を変更することができます。見出しは2段階まで使えるようになっており、デフォルトでは*でH1、**でH2に変換されます。
wikiRender.headingBase = 4;
デモページでは上のように設定しているので、*がH4、**がH5に変換されます。こちらもwikidemo.jsを参考にしてください。
Download: wikirender.js 0.0.1 (2006-05-05)
Download: wikirender.js 0.0.2 (2006-05-06)
ライセンスは、いわゆるMIT License (X11 License)とします。
Windows XP上のIE 6.0、Firefox1.5.0.2、Opera 8.54、Netscape 7.1で動作することを確認しました。
追記(05/06):いくつかのバグを修正した0.0.2を公開しました。
そして、ゆうすけさんがJavaScriptライブラリ検索 - JSAN Searchを公開されていたのを発見し、検索してみたら案の定Wikiwygを大発見。まぁ、あっても自分で作るんですけどね。Wikiwygのスタンドアロン・デモを触ってみましたが、超カッコイイ。
2006/05/05 Fri 01:44
少しずつイベントモデルがわかってきました。ブラウザごとの違いも少しわかった、というかWindowsで最新のOpera、Firefox/Netscape、IEに対応すればいいのなら、IEだけwindow.eventを使ってやればいいということがわかりました。またwindow.onloadハンドラの中でイベント宣言をすれば、すべてのイベントも*.jsファイルに移せると。だたし実際に少し組んでみた感想としては、prototype.jsを使ってしまうほうが賢いだろうと思います。
というわけで、Wiki機能を実現するライブラリ(みたいなもの?)を作りはじめました。とりあえず基本的なHTMLマークアップ系(DHTMLで動作確認できるのでデバグがとても楽)は完成して、ToDoはInterWikiNameを付けるくらい(それ以上は後で考える)。ファイルI/Oをやってくれるサーバサイドスクリプトと組み合わせてAJAXなWikiが作れるようなものにしたいところ。
2006/04/26 Wed 03:48
いまここの更新はwikieditish.cgiを自前で改造して使ってるんだけど、「試験前の掃除欲」を向かわせる先としてリアルタイムプレビュー(できればWiki記法対応も)+遷移なし記事表示/編集を搭載したAjaxなWikieditishを作ろうと思い立ち、とりあえずプレビュー部分を作……ろうとして早速ハマった。
というのも、イベントハンドラまですべて*.jsファイルに逃がそうとがんばっていたら、どうにも動いてくれなくて悩みまくった。window.loadのタイミングでonkeyupハンドラ内で使っているgetElementByIdがエラーを吐くらしく、どう指定してやるんだかわからない(とりあえずdocument.onkeyup = onkeyupHてかんじにしたらFireFoxでは動いてる様子)。このあたりから、HTMLタグの属性部分でイベントハンドラを指定してしまったほうが、なにかとわずらわしいトラブルが減りそうな気がしている。でもエレガントじゃない。
Livedoor Readerやはてなブックマークなんかを見てみると、HTMLファイル内での指定もかなり使われてるみたいだし、ハマるよりは使ってしまえばいいのかなあ……でもはてなRSSはほとんど逃がしててイカス。これは監視するイベントの種類にも関係してそうだけど。
まぁあくまで「試験」があるわけなので、ひとまずペンディング。
2006/04/21 Fri 22:40
というわけで、無事にFeedBurnerへ移行できました。
RSS Auto-DetectもFeedBurner.jpのURIに変更。
<link rel="alternate" type="application/rss+xml" title="RSS" href="http://feeds.feedburner.jp/ilettuce" />
/index.rssへのリクエストもリダイレクトするように.htaccessを変更。
Redirect permanent /index.rss http://feeds.feedburner.jp/ilettuce
リーダーへの登録ボタンのことを考えて、上記2つは日本版へ飛ばしてます。
というわけで、今後はFeedBurner(米でも日でも)をご利用ください。
追記(4/24):Atom版も作ってみました。Auto-Detectだけにそっと入れておきます。
<link rel="alternate" type="application/atom+xml" title="Atom 1.0" href="http://feeds.feedburner.jp/ilettuceatom" />
追記(4/26):っていうかFeedBurnerはフィードの形式変換を売りにしてるけど、ひとつのソースから複数のフィードを作ることはできないのね。1:1だけだったら変換もあまり魅力的じゃないなぁ……トラフィックが見えるのはいいんだけど。
2006/04/21 Fri 07:59
ふと、うちのフィードもFeedBurner(日本版)で焼いてみようかと思いたち、
このあたりを参考に、既存の*.rssテンプレートを複製して、拡張子をrss10にして、ヴァリデータで確認……してみたら、なぜかrss10のほうだけinvalidに。テンプレートは全部同じはずなのに。
feedAnalyzerの結果で違いを探してみると、validなほう(rss)は
URL : http://cu39.s57.xrea.com/index.rss
ステータス : OK (200)
サーバー : Apache
更新時間 : 不明
ファイルサイズ : 不明
コンテンツタイプ : application/xml charset=utf-8
スペック : RSS1.0 encode=utf-8
タイトル : 氷山みたいなレタス
invalidなほう(rss10)は
URL : http://cu39.s57.xrea.com/index.rss10
ステータス : OK (200)
サーバー : Apache
更新時間 : 不明
ファイルサイズ : 不明
コンテンツタイプ : text/html ("charset" は "us-ascii" になります)
スペック : 不明 encode=utf-8
タイトル :
ということで、どうもContent-Typeヘッダでコケてるらしい。Feed ValidatorのほうでもContent-Typeがtext/htmlになってるようだし。content_type.rss10が効いていないということなんだろうけど……なんで? テンプレートファイル見直してみたり、blosxom.cgiのソースとにらめっこしたり、.htaccessいじってみたり、blosxom 2.0.1にしてみたりといろいろやったけどダメ。rss10という拡張子を他の文字列(rrrとかrrssとか)に変えてみてもダメで、これが特に不可解。*.rssならcontent_typeテンプレートは効いてるのに。HTTPヘッダを触るプラグインも入れてないしなぁ……。
というわけで、とりあえず現象だけメモして考えてみる。サーバ設定の問題ということもあるのかなぁ。
追記:げ、テストしてみたらイヤなことを発見してしまった。なんかことごとくcontent_type.flavourが効いてなかったらしい……。
| 対象 | 現在表示されるContent-Type | content_type.flavourの内容 |
| /index.html | text/html | text/html; charset=UTF-8 |
| /index.rss | application/xml; charset=UTF-8 | application/xml; charset=UTF-8 |
| /index.rss10 | text/html | application/xml; charset=UTF-8 |
| /index.trackback | text/html | application/xml; charset=UTF-8 |
| /index.atom (未使用) | text/html | application/atom+xml; charset=UTF-8 |
ぜんぜんダメだったんじゃん orz こうなるとむしろ、*.rssだけcontent_type.flavourが有効になってることのほうが不思議。
このサンプルだけを見て考えると拡張子3文字以上はNGという推測も成り立つけど、cp *.trackback *.tstして作ったtstフレーバーテンプレートでも同じくNG。むむむ。
追記:テスト用CGIでヘッダを比べていると、ModLayoutが働いているものだけヘッダが上書きされていることがわかって、腑に落ちた。もっと早く気づいてもよかったな。XREA固有の問題にももう慣れたよ……。
X-Powered-By: ModLayout/3.2.1
広告の自動挿入、ModLayout関連のでのエラーは既知の問題となっています。
特にヘッダーを操作、上書きする処理にエラーが発生します。クッキー、Location等で期待しないエラーが発生します。
このような場合は、手動で挿入してください。
残念ながら、現在のところ、ModLayout関連のエラーは修正予定はありません。
別の広告配信システムを1年以上前から用意していますが、変更いたしますと、ModLayout関連のコマンドが使えなくなるため、保留しています。
ModLayoutコマンドが使えなくなってもいいから別の表示法に切り替えてほしいなぁ……まあそれを期待するなら金払ったほうが早いという話か。
ひとまず.htaccessでいくつかの拡張子をLayoutIgnoreURIさせていただいた。アプリ自動処理系だから許してもらえるだろう、と思っておくことにする。
LayoutIgnoreURI *.atom
LayoutIgnoreURI *.rss
LayoutIgnoreURI *.rss10
LayoutIgnoreURI *.trackback
でも、こうする前から*.rssに関しては上書きされてなかったのは謎のまま。大元の設定で切ってるのかな。
2006/04/16 Sun 18:45
個人的に繁忙期に入るので、少し生活を変えてみようと思う。どこを変えるかというと、今現在ネットにかけている、あるいは吸い取られている時間を減らしたい。とはいえ個人的なメール送受信(SNSのメッセージ機能も含めて)は減らすわけにもいかないので、主な削減対象はウェブ閲覧の時間である。
僕のネット歴はだいたい10年前後なのだが、1日のうちウェブ閲覧が占める時間は概ね増大の一途であった。少なくとも意識的に減らすのは今回が初めてといってもいいくらいだと思う。これは必要からそうしていたというよりも、耽溺または依存していたと表現するほうが相応しい状態である――あるいは、帰ってきてテレビつけちゃってそのままダラダラ見続けてしまうような感覚のほうがより近いかもしれない。ともかく、それを初めてカットしてみようと思う。
さて、そうすることで起こりそうな変化はいくつかあるが、「世間から取り残される」という漠然とした不安が僕を今まで耽溺した状態にとどめおいたのは間違いなく、今回もその種の不安はある。しかし以下のようないくつかの疑問を抱いてもいる。
-
本当にウェブを見ていれば世間から取り残されずに済むのか
-
まぁウェブを見なかったとしたら、多少の「取り残されている」感は出るだろう
-
でも、過剰にウェブを見ることが、ある意味取り残されることにもなるのでは
-
つまり僕のリアルな周辺におけるウェブ情報の評価の問題で、実生活の価値基準では必ずしも要らない情報が多い(将来的には未知数だが、それ以前に現在が切迫しつつある)
-
たとえ世間についていく必要があるとしても、現在チェックしているすべては必要ないのでは
-
硬軟とりまぜた情報をひとくくりに論じても意味がなさそう
-
個人的に苦手な、取捨選択作業のいい練習になるかも
と、まぁいろいろ書いてみたが、要するに、あえて「取り残され」てみるのも面白いかも、と感じているのが大きい。実はそれほど大したことなかった、と判明するのは、それはそれで怖いけど。
たとえ取り残されても永遠にその状態でいなきゃいけないわけでもないし、実はそれほど取り残されなかったり、取り残されても追いかける必要を感じなくなるのならそのままでもいい。
と、何をいまさらというような話で、多くの人は細かく考えずこういうシフトができるものなのかもしれないが、個人的にはそれなりに大きな発想の転換だったりする。とりあえず今月いっぱい試してみるか……実行できるかどうかのほうが問題だな、まず。井上雄彦の発言を反芻して取り組んでいきたい。
2006/04/14 Fri 04:08
ものすごく情けない間違いをしていたのを発見しました。
このブログのPermalink(各エントリーの個別URL)の最後の部分(つまりBlosxomデータファイルのファイル名が対応する部分)は
yyyymmdd_エントリーのキーワード.html
という書式になっているんですが、この「yyyymmdd」(8ケタの日付)部分は毎回手打ちしています。この部分が、エントリーを作成した日の一年前の日付になっているものが複数あるのを発見しました。ある年の前半くらいまでは、意識が前年のままになっていて、間違えてたんですね(単なるミスタイプも含まれると思いますが)。
で、今回それを全面的に訂正したため、Permalinkも変わってしまいました。おそらくブックマークをしてもらっているエントリーはゼロに近いと思うのですが、もし仮にしてもらっていたりしたらごめんなさい。あらかじめ謝ってしまいます。
トラックバックをもらってるエントリーも変わってるのが1つ……ごめんなさい orz まあ1つだったのは不幸中の幸い。
日付部分は自動で入るようにwikieditish.cgiをいじったので、もう間違えないよ!(たぶん)
2006/04/14 Fri 03:30
taggingしてみたかったので、abeさんのtagging plugin 0.04を設置してみました。プラグインはデータファイルがLFのみという前提で組まれていたので、CRLFにも対応してくれるよう手を入れました。とりあえずこんなかんじでしばらく様子見。日本語もいけてるようです。タギング楽しいなぁ。個別ページに行くとTag Cloudも出ますよ!(追記:その後、左メニューに移動しました)
ここをCRLF運用にしてしまったせいで、他のプラグインでも同じような手直しをすることがあって、LFだけで運用しておけばよかったと今さら後悔……最初から新しく作り直してー。まぁPerlでCRLFをLFに一括変換するスクリプトを組めばいいのか。ちょっと考えよう。
だいぶ機能的な面が満足してきたので、いいかげんデザインもいじりたいところだが、時間がない……。
追記:taggingプラグインソース内の、$link_tagと$link_cloudという2つの設定変数の値をblosxomからblosxom_tagsに変更(147行目あたり)。
# Where to link story tags (URLs defined below)
my $link_tag = 'blosxom_tags';
# Where to link tags in the tag cloud (URLs defined below)
my $link_cloud = 'blosxom_tags';
さらに、mod_rewriteを以下のように設定(もうちょっとエレガントにできそうだけど)。
<IfModule mod_rewrite.c>
RewriteEngine on
RewriteCond %{REQUEST_FILENAME} !-f
RewriteCond %{REQUEST_FILENAME} !-d
RewriteRule ^(tags/)(.+)/(.*) $1$2,$3 [N,QSA]
RewriteRule ^(tags)/(.*)$ blosxom.cgi?-$1=$2 [L,QSA]
RewriteCond %{REQUEST_FILENAME} !-f
RewriteCond %{REQUEST_FILENAME} !-d
RewriteRule ^(.*)$ blosxom.cgi/$1 [L,QSA]
</IfModule>
すると、taggingプラグインに対して
?-tags=hoge
?-tags=hoge,foo
という形式ではなく
/tags/hoge
/tags/hoge,foo
という形式でアクセスすることが可能に! データフォルダ直下にtagsというディレクトリさえ作らなければ、categoriesとバッティングすることもありません。強力すぎる……(うっとり)。
追記(4/16):Related Tagsのアンカーに入るURIは、すでに選ばれているタグに該当タグが追加されるように変更(というか改造)。