10.30 横浜アリーナ ファイナル後の不完全燃焼感

2009/11/01 Sun 04:42

さて、⊿ツアー横浜公演を皆勤賞でこなし、ファイナルの素晴らしい盛り上がりと感動的なフィナーレに大満足して帰ってきたのだったが、帰宅後、2ch本スレに「感動した! ありがとう!」というような激賞コメントが並んでいるのを眺めながら、何とも言い難いモヤモヤが浮かんできた。

昨日のライブが素晴らしく、感動的で、感謝すらしたくなる気持ちを否定するつもりはない。号泣したりするほどではないにせよ、自分もそう感じるところはあった。妙な気恥ずかしさを感じず、その想いを素直に吐露できることへの嫉妬も、ないとは言わない。でもそれほど感じ入っているなら、それを吐露するまでの話だとも思う。だからこれは、そこまで楽しみ切れたことに対する嫉妬だと思うのが正当なんだろう。

終演後の反省会では、自分がPerfumeを「誰もブックを書いていないプロレス」として楽しんでいることを確認してきた。プロレスを最大限に楽しむためには、リング内外で繰り広げられる物語を完全に消化し、自らをもそこへ織り込んでいくような作業が求められる。

普段から露出メディアを逐一チェックし、行かれないライブのレポートをブログやBBSでチェックし、そこで進行する物語をフォローする。彼女たちの行動や言動はもちろんのこと、著名な評者やファン言動・行動についても、その解釈や影響を仲間と議論する。そうして積み重ねられたものを一杯に抱えて、ツアーファイナルというクライマックスに臨む。

昨日を最大限楽しむには、理想としてそれだけの条件が必要だったが、自分はそこまでしていない。自分の日常生活からそれだけの時間を割くことはしたくなかったし、もし実行していたとしても、それが自分をどこにも導かず、最終的に虚しさが達成感を上回ってしまうであろうことも確信している(実際、過去に経験したことでもあるから)。

自分はその程度には冷静で、「熱い」人々を覚めた目で見てしまう部分がある。でも、楽しめている人のことが確かにうらやましくもある。その狭間に吊されている感覚が「モヤモヤ」の原因であろうと、ひとまず思っておくことにする。

繰り広げられる「プロレス」に全力で巻き込まれているかどうかという条件は、自分以外のファンにとって全く関係のない話であって、感動が深かったとしても捧げたコストの多寡は問題にならない。だからこの羨望は、そこまでコストをかけずに満足感を得ているパフォーマンスの良い人(典型的にはライブ初参戦に近い人たち)に対するものと、「理想」に近いコストを彼女たちに捧げ、自らを力強く物語に織り込めた人に対するもの、その両者が含まれている。

……といろいろ理屈をこねてみたが、冷静になってみると、14・15がトレーニング効果を発揮したためか29・30で暴れたにもかかわらず翌日には疲れや筋肉痛がほとんど残っていないことに気がついた。それを不完全燃焼と感じてるだけなのかも。

追記: この感覚を自分なりに説明してからでないと眠れない程度には熱さが残ってるということは、当然ながら自覚あり。

Permanent Link | Writebacks (0) | Diary | edit