大岡裁きで引っぱられる子供の気持ち
2006/07/22 Sat 04:34
さて、実は自分も中田英寿に通じるようなことを日々考える、悩みの時期に入っている。「凡庸」と表した自分もまた凡庸であることを突きつけられる。普遍的テーマを「凡庸だ」と切って捨てるのもイマイチだということか。
悩みの時期はある程度周期的に訪れるのだが、その悩みに引きずられるあまり公事に支障が出てくるのがいただけない。次のことへの心配と、現在のするべき/しなければならないことが相反し、結局はどちらへも向かえず、ただその場へ沈潜してしまう。「まずは今だ、急がば回れ急がば回れ」と念じて現在のことに集中すると、しすぎて周辺のものを見失い、ミスが出る。また少し沈潜する。スロットルの踏み具合が深い、タイミングが遅い。
早め早めに、いい具合に、踏む。理想はそこにしかないのだが、いい具合の女神ははるか前方、地平線の向こうに走り去っている。青は進め、黄色は急いで進め。周囲は適度に気をつけろ。車体にガタがきていても、踏んでみるしかないのである。75歳以上の老人は空前絶後の100点!
しかし頭も重い、身体も重い、もともと低い血圧が最近さらに低くなった。気の利いたオチも思いつかない有様で、本当に参った。自分探しの旅どころじゃなく、それ以前の段階で進めていない。凡庸じゃないかもしれないけど、あくまでネガティブな意味でしかない。