三沢光晴が背負っていてくれたもの

2009/06/15 Mon 04:10

熱心なプロレスフォロワーではない僕が語るべきかどうか迷いはあるのだが、「好き」カテゴリに属するもののほとんどについて熱心とは言えないので、そこで足踏みしていては語ることがなくなってしまう。三沢光晴が熱心なプロレスフォロワーの枠を超えても大きな存在であったことは、訃報に対する反応の広がりを見ても明らかなことだろう。そこにささやかな例証を一つ付け加える。

三沢選手が亡くなったと一報を聞いたのは14日の0時17分、チャット中の友人に知らされた。すぐに大手メディアの記事を確認し、言い様のない不安感に襲われた。それから24時間以上経っても不安感は拭いきれず、ずっと三沢のことが頭から離れなかった。

僕にとっての三沢光晴は、日常の中の好ましい部分を象徴する存在だったのだと思う。自分の生活にどういう変化があっても、世間に変化があったとしても、変わらずにプロレスを続けている人がいる。今に見合ったプロレスを、信念を持って続けている。そういう安心感を象徴する存在だったのだと思う。

僕にとっての日常は基本的に変わり映えのない、どちらかといえば退屈なものである。でもどこかでプロレスが行われていると想像したり、そのことをメディアで見聞きすることは、「日常」の好ましい部分だった。その日常性を保証してくれていたのが三沢光晴という存在だったと考えると、この不安感が腑に落ちる。残念ながらこの4月以降はテレビで目にする機会も少なくなっていたのではあるが……。

もちろん、「日常」といってもほのぼのとしたイメージばかりを持っていたわけではない。「ゾンビ」と謳われることを納得するような試合を見たこともあったし、そこまでの試合でなくても実直にプロレスをしていることは伝わってきた。トーク番組やバラエティ番組での姿もそうしたイメージを裏付けていたのだろう。実直に、真摯に積み重ねられているのでなければ、その「日常」は好ましいものにならないはずだ。

大げさに言えば、僕が安心できる平和な世界では、三沢光晴がプロレスをしてくれている必要があった。たとえ目にする機会が少なくても、そう思えることが必要だった。実に勝手な話だが、そういう役割を背負ってもらっていた気がする。それでも、何も言わずにそれを背負ってくれるような、そんなイメージを三沢に投影していたのかもしれない。今日一日、ウェブやテレビで色々なエピソードを目にしたが、そのイメージは決して間違っていなかったと思っている。ノアという団体を運営する上で多大な重圧があったこと知り、これまでの継続がさらに重みを増して感じられている。

プロレスファンは、全日本に君臨するジャンボ鶴田からフォールを奪い全日の歴史を刷新したことや、ノアを立ち上げて以後、現代的なプロレスを確立しようとしつづけたことなど、「日常」とは無縁の革新者たる三沢を語っている。ここでそのイメージを否定するつもりはまったくないし、そうしたプロレス史での存在こそまず評価されて然るべきだと思う。

ただ、僕にとっての三沢は、厳しさと愛らしさを同時に感じさせるような風貌で、真摯に激しくプロレスを、いつも変わらずに続けてくれる人だった。本当にありがとう。もう新しい試合を見られないのは本当に残念だけど、そう言うとあなたを苦しめてしまうのかもしれません。安らかに休んでください。これからのプロレスを心配する声も少なからずありますが、選手もファンも、あなたの姿を憶えていればそう簡単にあきらめることはないでしょう。

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